【トレカ】グレツキーT206ワグナーの歴史(その2)

 

1987年 マストロ、グレツキーT206ワグナーを売却する[価格$110,000]

 

取引関係

T206ワグナーを入手した2年後の1987年、マストロは「コープランドスポーツ」というスポーツ用品店チェーンを営むジム・コープランドに後のグレツキーT206ワグナーを売却します。
その金額$110,000

 

10万ドルを超える野球カードの売買は注目を集め、その語のT206ワグナーの高額化を決定づけたともいえるでしょう。

 

 

補足

ジム・コープランドはスポーツ用品店のチェーン化で財を成した、いわゆる成功者でした。

その彼が1980年代半ば(1985年からとも言われています)、息子との共通の趣味のためとしてヴィンテージカードを集めるようになります。

コープランドには懇意にしているスポーツメモラビリアのディーラーが数人おり、そこには前回登場したビル・マストロも名を連ねていました。

コープランドはマストロから購入したT206ワグナーを含め、トータルで数百万ドルをコレクションに費やしたといわれています。

 

しかし、1990年になるとコープランドのコレクション熱は急速に冷めていきます。

これについてコープランド本人は「息子がカードへの興味を失ったから」と述べていますが、コレクションに入れ込みすぎて財政が逼迫していたのも事実だったようです

やがてコープランドは自らのコレクションを売却したいとの意向をマストロに伝えます。

コープランドの意を受けたマストロがサザビーズオークションと話をつけたことにより、この後、サザビーズで大々的なオークションが開催されることになります。





次回(その3)でお話しする通り、サザビーズオークションでコレクションを売却できたコープランドでしたが、本業は思うように回復せず、結局コープランドスポーツは2002年に売却され、2006年で破産しました。

公表されている資料によると、2006年の破産時点でコープランドスポーツがナイキUSAとキャロウェイの両者に対して負っていた未払い債務はそれぞれ約170万ドルと約100万ドルだったそうです。

この負債額と比較すると、コープランドがマストロ等から購入していたコレクションの金額として言われている「数百万ドル」がいかに桁違いだったかがよくわかります。

 

これは私の憶測に過ぎないのですが、

コープランドがコレクションを始めた1985年にマストロがT206ワグナーを入手していたのは、単なる偶然なのでしょうか。

1985年時点においてバリー・ハルパーとビル・マストロは、すでに次の買い手(殿堂博物館とコープランド)を見据えてT206ワグナーを手に入れていたのではないか・・・と思えてしまいます。

 

そのマストロは「コープランドコレクション」の仲介をした功績をサザビーズオークションに評価されたのか、
サザビーズとの4年間の提携を得て、業界のトップディーラーの1人となっていきます。

 

凋落の始まりに立つ成功者と、それを足がかりにして成功を掴みとろうとする者が交錯した瞬間を、グレツキーT206ワグナーは見届けていたのでしょう。

 

【その3に続く】