グレツキーT206ワグナーの歴史(その1)

今回から、グレツキーT206ワグナーの歴史を年代順に追っていきます。

 

 

1985年 マストロ、後の「グレツキーT206ワグナー」を入手する[価格:$25,000]

 

取引関係

本ブログでのグレツキーT206ワグナーの話は、ビル・マストロという若いメモラビリアディーラーから始まります。

1985年、マストロはカードコレクターであるアラン・レイからT206ホーナス・ワグナー(後のグレツキーT206ワグナー)を譲り受けます。
カード代金は25,000ドルでしたが、マストロはビジネスパートナーであるロブ・リフソンから借りることで用意しました。

 

T206ホーナス・ワグナーを買い取ったのち、マストロは25,000ドルの返済の代わりとしてマストロが所有していた別のT206ホーナス・ワグナーをロフソンに渡します。

ロフソンはそれを著名なメモラビリアコレクターに持ち込みました。
コレクターの名前はバリー・ハルパー

ハルパーはロフソンが持ち込んだT206ホーナス・ワグナーを30,000ドルで購入します。

ハルパーは数年後、このT206ホーナス・ワグナーを含む自身のコレクションをアメリカ野球殿堂博物館に売却します(正確にはMLB機構がハルパーから買取り、その後博物館に寄贈)。その額は500万ドル(800万ドルとの説もあり)。

 

補足

この取引でまず疑問を感じるのは、なぜマストロは25,000ドルの価値がある(そして30,000ドルで売れた)T206ホーナス・ワグナーを手放して、アラン・レイから別のT206ホーナス・ワグナーを購入したのかという点だと思います。

 

この点については私も明確な理由はわかりませんので、ひとまず置いておきます。

 

次にリフソンからT206ホーナス・ワグナーを購入したバリー・ハルパーなる人物。
MLBにお詳しい方なら聞いたことある名前だと思います。
というのも、アメリカ野球殿堂博物館はハルパーから購入したコレクションを「バリー・ハルパーコレクション」と名付け、収蔵展示しているからです。

また、本ブログを以前からお読み頂いている方のなかにはご記憶されている方がいらっしゃるかもしれません。
本ブログでは2005年ドンラス社のジム・ソープジャージーカードの真贋疑惑で、大元となった疑惑のジャージーの所有者として登場しました(詳細は「2005年ジム・ソープジャージーカード真贋疑惑」を参照してください)

 

まず言及しておきたいのは、まずマストロが黒い噂が付いて回る人物であったということです。

本ブログではグレツキーT206ワグナーにのみ言及しますが、のちに説明するようにマストロは別の詐欺容疑で起訴されることになります。

リフソンがハルパーをグレツキーT206ワグナーの売却先に選んだのも、マストロの何らかの意向があったようです。

 

次に触れておくべきは、バリー・ハルパーもそのコレクションの多くに贋作が認められていたことです。

ハルパー自ら作成したのか又は偽物と知らずに購入したのかは明らかではありませんが、いずれにしても「その筋」に近い人物だったのでしょう。

 

さらに興味深いことは、この2年後の1987年に、アメリカ野球殿堂博物館がUSA Todayのインタビューに応じ「ハルパーのコレクションを引き取り、ハルパーギャラリーを作りたい」と述べていることです。

この手の発言をするときにハルパーと博物館の間でなんらの話し合いもされていないとは考えにくく、ある程度の合意はできていたのでしょう。

アメリカ野球殿堂博物館がインタビューに答える2年前のこの時点で、すでにハルパーと博物館の間でコレクション譲渡に関する話が進んでいたとしたら、ハルパーには博物館に転売する意図を持ってT206ワグナーを購入することも可能だったでしょう。

 

マストロもハルパーもそれぞれT206ワグナーを高値で転売するために、その裏付けとするための取引を行っていたとしたら・・・

後の取引を知っている者の目からみると、この時既に将来の大きなスキームが描かれていたのではないかとも勘ぐってしまいます。

【その2に続く】

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