【直筆サインを楽しむ】バンビーノの呪いと「バックナーボール」とチャーリーシーン

 

直筆サイン&実使用ボールのなかでも有数のストーリーを抱えているアイテム、それがこの「バックナーボール」です。

生まれる背景、生まれた場面、生まれた後の逸話、これら全てに語れるストーリーがあります。

スポーツメモラビリアの妙味を凝縮したこのボールを見ていきましょう。

 

 

 

バンビーノの呪い

ボストン・レッドソックスは第1回ワールドシリーズを制した名門。
また数多のスター選手も輩出しましたが、なぜか1918年以降ワールドチャンピオンになることができませんでした。

このことは他チームファンの皮肉の的となり、やがて
「1918年にトレードで放出されたベーブ・ルースの呪いだ」
という「バンビーノの呪い」として定着しました。

バックナーボールもまた「バンビーノの呪い」によって生まれたと言われました。

 

 

 

1986年ワールドシリーズ ボストンvsメッツ 「運命の第6戦」

 

バックナーボールは1986年ワールドシリーズのメッツvsボストンで生まれました。

それは、ボストンが3勝2敗と優勝に王手をかけて臨んだ第6戦。
延長10回表にボストンが2点リードし、68年ぶりの優勝に手が届くと思いきや・・・

バンビーノの呪いがボストンに襲いかかります。

まず10回裏に安打と暴投で同点に追いつかれ、

そしてメッツのムーキー・ウィルソンの一塁ゴロをボストンの一塁手ビル・バックナーが・・・・




 

(動画)

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痛恨の後逸

これがサヨナラゴロとなり、メッツが勝利。戦績を3勝3敗のタイとしました。

そして雨天中止を挟んだ第7戦、ボストンが先制するもメッツが逆転勝利。

ボストンはまたもや優勝を逃しました。

この第6戦でビル・バックナーが後逸したボールこそが、バンビーノの呪いがかかった「バックナーボール」なのです。

 

 

 

「バックナーボール」の誕生

第6戦直後、一塁審を務めたエド・モンタギューはバックナーが後逸したボールを拾い、ボールに小さな「✖️」印をつけました。

まだMLB Authenticationがない時代に、このボールの持つ価値を見抜き、特定するための印をつけたモンタギューの慧眼にはおどろくばかりです。

モンタギューはメッツの球団職員であるアーサー・リッチマンにこのボールを手渡します。

アーサーによってクラブハウスに持ち込まれたボールを選手たちは歓喜を持って迎えたといいます。

ボールには選手の喜びようを伝える跡が2つ残されています。

1つはサヨナラゴロを打ったムーキーウィルソンのサイン

そしてもう1つは、噛みタバコを噛んだ選手のキスマーク。

だれのキスかは分かりませんが、茶色いステインが今も残っています。

 

「バンビーノの呪い」
「バックナーの後逸」
「✖️印」
「ウィルソンのサイン」
「キスマーク」
この5つの要件を備えたことで、このボールは「バックナーボール」と呼ばれる特別なボールになりました。

 

 

 

チャーリーシーン、そしてHOF博物館

バックナーボールには更に逸話が生まれます。

メッツ職員だったリッチマンがボールを手放した日、ボールは新しいオーナーを迎えました。

オーナーの名前はチャーリーシーン

映画メジャーリーグでは主役を務め、プライベートでは知られた野球ファンです。

彼はバックナーボールを10万ドルで購入したと言われています。

その後、次のオーナーの手に渡り、メッツの博物館で数年展示されたバックナーボールは

再びオークションハウスに現れました。

 

グレツキーのT206カードのように、「著名人が手にした」というキャリアはそのアイテムを更に輝かせます。

またメッツの博物館に展示されたことで、バックナーボールはファンの間で「博物館で見たことあるボール」になっていました。

 

これらのことはバックナーボールに更なる箔をつけることとなり、バックナーボールは42万ドルの高額で落札されています。

 

 

 

逸話を語れる楽しさ

バックナーボールの素晴らしさは、ものに纏わる逸話を語ることができるということでしょう。

「バンビーノの呪い」といった比較的有名な話から、「✖️印」や「キスマーク」などのあまり知られていないけど物証が残る逸話まで、話すことにこと欠きません。

また「バックナーの後逸」は今でもyoutubeなどで動画を確認できます。

まさにバックナーボールはメモラビリアの逸品です。